ジャーロとXR脚本術 見える化されない永遠の美を書くために

2020年2月20日脚本家マインドセットA Lizard in a Woman's Skin, DEATH LAID AN EGG, FOOTPRINTS ON TH MOON, giallo, Le Orme, The House with Laughing Windows, ジャーロ映画

このテキストでは・XR系脚本を書くものにとっての最良のチュートリアル「ジャーロ映画」とは
・狂って候。2020年代の脚本家マインドセットとは
について書いています

ハイ!始まりました。今回も素晴らしい脚本のお話、しましょうねぇ。
そう今回は「Giallo」いやー・・・ジャーロ怖いですねぇ
でも美しいですねぇ・・・

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沙奈絵ちゃん

なんで今回はいきなり淀川長春センセイ風なんですか?!?

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人間失格

いやだって最近の傑作女性映画「マザー!」も「サスペリア」もかなりGialloの
影響を受けてるんだけどあんまりそういう俯瞰で語られる事がなくて
きっと淀川先生がご存命ならそんな解説をしてくださったんじゃないか?
「無敵の人3.0」も喜んでいただけたんじゃないかって思ったんだニャン。
それではまたのちほどお会いしましょう・・サヨニャラ、サヨニャラ、サヨニャラ

歴史から消えてしまった映画ジャンル「ジャーロ」

今では映画のジャンルっていったら「アメコミ映画」とか
「スイーツ映画」とかがパッと頭に浮かびますが
これも映画史130年の間には消えてしまったジャンルも多々存在します。
そんな「絶滅系映画ジャンル」の一つに1960-70年代にかけて
ブームとなったGiallo、ジャーロ映画があります。


大まかな歴史は上のWIKIを見ていただければわかるわけですが
まぁはっきりいってしまうとWIKIを読んでもどんな映画群だか
見たことのない人には全く伝わらないですよね・・・・・・・・
でもそこなんです!!!

ジャーロの申し子デヴィッド・リンチかく語りき

昔D.リンチ監督は新作の「ストーリー」について
執拗に尋ねるインタビュアーにこう言い放ちました
「そんなにストーリーが知りたいなら脚本を紙芝居みたいに
順番に見せていけばいいじゃないか」

とは言うものものリンチ作品の脚本じゃあそーやって見せても
ストーリーは伝わらない可能性大ですが(汗)
そんなリンチ先生も絶大な影響を受けまくっている
ジャーロ映画の特徴とはズバリ
「ストーリーが途中で崩壊していく快感」です。
当時からジャーロにはこんな批判が渦巻いていました
「イタリア人が途中でめんどくさくなって脚本を放り出した映画、それがジャーロ」とか
「ヌードと殺人の数を先に決めて、その間を埋めるために作られたのがジャーロ」とか
もちろんそういったやっかみを飛ばしていたのはストーリー映画に属する人々
以前の記事で「夢映画」はポピュラリティーを持つことができない
と書きましたがこのジャーロの歪で暴力的で性的で血まみれの映画群
まるで夢のようにストーリーが壊れていくにも関わらず
10年間に渡って大人気の映画ジャンルとして君臨していました。
そしてこの5年ぐらいの間に海外ではジャーロの可能性が再認識され
様々な監督たちが「Neo Giallo」ムーブメントを巻き起こしています。

 

何故ジャーロの主人公達はみんな・・・・

いくつか代表的な作品をあげます
例えばA Lizard in a Woman’s Skinでは
主人公である大富豪の娘キャロルは猟奇殺人の夢に取り憑かれ
次第に精神が崩壊していきます。

またThe House with Laughing Windowsでは
画家のステファノは一枚の絵画に取り憑かれ
異界へと連れ去られてしまいます。

そして「世界で最も狂ったジャーロ」と言われている
DEATH LAID AN EGGでは
登場人物達全員がフリージャズのグルーヴと
奇妙な「卵」に取り憑かれ

僕が最も愛し近年その評価がうなぎのぼりに上がってきてて嬉しい
FOOTPRINTS ON TH MOON(LE ORME)では
主人公の「ALICE」は自らのドッペルゲンガーの正体を
探ろうと向かった謎のリゾート地で月と記憶に取り憑かれます。

要はほぼ全てのジャーロ映画で主人公は次第に狂っていきます。
そしてストーリー映画ならそこから回復する事で物語が組み立てられますが
ジャーロでは主人公達は戻ってこない・・・・・
なぜジャーロの脚本家達は主人公のココロの行方を手放したのか?
それはもちろん、人は狂っている方が美しいからです。

一期は夢よ、ただ狂え

僕は今も友達と言う存在を持っていませんが
小学校時代、唯一僕が一緒に遊んでいたのは
学校帰りに出会った何人かの「白痴少女」達でした。
何故か彼女達になつかれる事が多かった僕は
一緒に色々な事をしました。
秘密基地も作ったし、花も虫も一緒に試食したり
廃屋に忍び込んでリアルおままごとをしたり
とてもとてもとても楽しかった事を覚えています。
その後も僕に人生を変えるほどの体験をさせてくれたのは
いつも変わった女の子達で、そんな関係性の究極の形は
「DREAM MACHINE」と言う映画になりました。
そしてそんな(敢えて断定しますが)狂った女の子達は一様に
美しかった。
彼女達は僕らがしがみついているしょーもない物語を手放し
見事なまでに自由でした。
「一期は夢よ、ただ狂え」を座右の銘にしていた
鈴木清順監督の大正三部作も皆何かに取り憑かれ
この世界には戻ってこない主人公たちの映画でした。
今のジャーロの再ブームを支えているのも清順作品のファンも多くは女性たちです。
そう、素敵な女の子達はいつでも「それ」を手放すことができる
そして嘘と偽善に満ちた「物語」を告発します。
ジャーロ映画という映画史における「仇花」が教えてくれるのは
今の2次元、2.5次元映画における「男根主義」的嘘と
今の3次元映画の「ソーシャル主義」なお仲間的偽善が
如何に映画をそして脚本の可能性を殺しているかという視点です

まとめ


XR脚本術に置ける脚本とは
世界を味方につけるための教科書ではありません。
それはジャーロ映画のように、狂い咲く花の様に
僕等の勇気を試し、この世界に蔓延る嘘を処刑台に吊るすための
叙事詩であるべきなのです。

僕等は2020年代というXR世界の訪れのために
もっともっともっとジャーロを見なくてはならない。
僕等は決して「見える化」されない何かを書かなくてはならない


その血まみれの血潮が辿り着く天国と地獄を書かなくてはならない
それが今と言う時代に必要な脚本というアートフォームだと思います。

ジャーロと脚本・まず主人公を「狂わせよう」
・そしてその「狂」に潜む、美しさ・悲しさ・永遠・刹那を書いてみよう

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。