令和時代のニューミュージック KOHH 「WORST」メロウネスの極北へ
ぶっちゃけるとこの「WORST」のプロモーション周りは何か変で
このアルバムがどういう経緯でリリースされることになったのか
がモヤモヤしている所があるのが気にかかりますが
KOHHの本質がだだ洩れのようになってるこの傑作に関する
TEXTがあまりにも(というか全く?)ないので
緊急に徹底解説させて下さい!!
フォークシンガーだったKOHHの在り様をあまり
音楽メディアはうまく伝えきれませんでしたね・・・・
平成時代の音楽メディアのカタチだったけど令和時代にはそーいう
どこに耳ついてんの??的くだらない縄張り意識ってホントウに消えて欲しいニャー
HIPHOPでもROCKでもないKOHHのPOP MUSIC
僕のようなロック村にもHIPHOP村にも所属していない
「POP MUSIC」の中毒者にとってKOHHの登場は衝撃的でした。
このブログでは何度も言及していますが
ROCKにはロックの、HIPHOPにはヒップホップの「文法」
決まり事が瞬く間に作られてしまうSNS時代には
ポップミュージックである事が唯一の覚醒の作法であり
POP MUSICであるという事は何度でも何度でも繰り返すと
「最新のダンスミュージックのグルーヴによって
自らのコトバとメロディーを再編集する事」
の事です。
既に有名な逸話ですがKOHHのクリエイティブディレクターの
高橋良氏が無意識のうちにJAPANESE HIPHOPの文法(FLOW)を
身に着けてしまっていたKOHHに言った
「もっと普段しゃべっているようにやればいいんじゃないの?」
というサジェスチョン。
これは言い換えれば高橋氏はKOHHにはそれができる
つまりHIPHOPではなくPOP MUSICを作れるはずと思っていたはずです。
HIPHOPの文法に則るのではなく、当時正に全盛期を迎えていた
トラップというグルーヴによって自らのコトバを再編集する、
作るのではなく破壊する事を肯定しきれるか?
KOHHの音楽が僕にとって衝撃的だったのはそんな
ポップミュージックだけが持つ「編集された無秩序」というこの方法論
を見事に成立させてしまっていたからです。
KOHHが鳴らしたフォークミュージック
そしてKOHHの作り出すPOP MUSICの質感、これを僕は
ポップ史の何処かで聴いたことがあると思ったんですが
ある時ハタ!と気づきました、あーーこれは1970年代の
フォークソングなんだ!!と。
フォークの神様と呼ばれた岡林信彦の
そして何よりコトバとメロディーとの関係性の在り様に於いて
友部正人との
この時期の日本のフォークミュージックの多くは
海外のフォークの文法・フローに忠実に則ったものでした。
しかし優れたミュージシャンは次第にその時最も新しかった
フォークというグルーブによって自らを解体(編集)していきます。
そして生まれたのがメロディーともリズムとも衝突と融合を繰り返し
曲の中で幾重にもメタモルフォーゼしていくもはやフォークでも
歌謡曲でもないオリジナルなポップミュージック群でした。
僕がKOHHの楽曲を聴いたとき、というかもう少し正確に言えば
どんどんラップと歌唱の境目が正にメタモルフォーゼをおこしたように
曖昧になっていく「DIRT」を頂点に、多くの人達は
フローとメロディーの境界を超えようとしていたサンクララッパー
達との比較をしていましたが、あーこれはそれよりも
フォークなんだよ!!と確信していました。
「WORST」は令和時代のニューミュージックである
HIPHOP的にはなんでそんな50年以上も前のポップミュージックと関係が
あるのか?と訝しがるかもしれませんが
このブログでもGIALLOを始め多くの1970年代生まれの映画を
今、令和時代に見るべき新作としてずっと紹介していますし
音楽に関して言えば去年の歴史的傑作
Billie Eilishの「When We All Fall Asleep, Where Do We Go? 」
はまんま1970年代の森田童子でした
つまり今、2020年代と繋がるPOPNESSのソースは
ほんとしょーもなかった平成を飛び越えて1970年代に直結している。
それがKOHHの新作「WORST」、特に「ゆっくり」以降の後半部分
のあまりにもあまりにも1970年代の日本のニューミュージックな
メロウネスの洪水でまたもや証明されました。
もちろん射程をHIPHOPの中だけに絞ればこのメランコリアの洪水
のような音像は故XXXTentacionって事なのかもしれませんが
でもよく聴くと絶望ではなく性的なダダ洩れ感、
より個人的に突き詰められたMELLOWの極北とでもいうような
白日夢と淫夢がMIXTUREしたような世界観は
正に1970年代の後半から井上陽水氏らニューミュージック系
アーティスト達が生み出したポップミュージックとこれまたリンクしたものなのです。
シティーポップという言い方でジャンル化する方が多いわけですが
今やこのタームだと違う意味合いが付きすぎるので
あえて古い方のジャンル名で総称しています
中でもあまりにもリリックからメロから何から何まで
「WORST」の後半と繋がっているのが、石川セリ女史との不倫と蜜月
そして自らの大麻中毒の真っただ中で作られた井上陽水の
「招待状のないショー」
https://www.youtube.com/watch?v=U1fcxEahmTk
僕はこのアルバム以降1982年の「LION&PELICAN」までの
井上陽水作品が日本のポップミュージック史上最もセクシャルな
楽曲群だと思っていますが「WORST」は見事にそれに並んできました。
井上氏がフォークからニューミュージックへと変貌したように
KOHHがこの「WORST」の後半で鳴らした妖しいまでの極私的ラブソング群は
令和時代のニューミュージックなのだと思います。
まとめ
「WORST」のラストソング、KOHHとしての最終曲は
自分を育ててくれた大ママ(祖母)への感謝の気持ちを赤裸々に綴った
「手紙」の朗読で終わります。
そしてその手紙の差出人はKOHHではなく本名の千葉雄喜。
残念な事ですが世界中のポップシーンにおいて
日本だけはラッパーはHIPHOP村に閉じ込められ(&ひきこもり)
彼等が真に時代が必要とするPOP MUSICを鳴らす事、そして
鳴らそうとする意志がスポイルされる異常な国になっています。
ずーっと書いてきたようにKOHHはそのデビューの時から
ラッパーではなくフォークシンガーであり
HIPHOP HEADZだけではなく子供から大ママまで、音楽を
ポップミュージックを必要とする全ての人々に届くコトバとメロディー
を作る事を運命づけられてきました。
このブログでは何度も書いていますがコロナ禍となった
2020年代「GENERATION Q(QUARANTINE)」時代のPOP MUSICを
世界は希求していて、既に様々なミュージシャンが今鳴るべき音楽
を作り始めています。
今後KOHHは自らを縛る事になったHIPHOPという呪縛から解放されて
シンガー千葉雄喜として新たにPOP MUSICを作っていくと思います。
その音をコトバをメロディーを僕は今から心待ちにしています。
今回も記事を読んでいただき誠にありがとうございました。
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