若者が高市総理を支持するのはオジサンが大嫌いだから
高市総理関連イシューで最もテーマとされているのは「若者の支持率の高さの理由」だったりします。
何度も書いて恐縮ですが、ここは政治的視点からではなくポップカルチャーの視点から
様々なポリティコ案件を考察してますので
右派の方々の「支持率高くてあたりまえーーー!!」な言説も
リベラルの方々の「どうして支持率が高いのかわからない・・・・」という嘆きも
まーーーったくその「理由」の解説・考察になっていない(泣)のに驚いてしまうんですが
ポップカルチャー目線からだとメチャクチャシンプルです。
みんなオジサンが大嫌いだから日本初の女性総理である高市早苗女史にとりあえずいいね!だけ押してるんです
安倍総理支持と高市総理支持は接続しているのか?
これもよく言われているんですが
安倍総理が若者に人気があったように高市総理も人気があるんだ
という解説はかなーーーり痛い系なので最初に書いてしまいますが
安倍総理の若者人気とは明確に「接触機会」の多さに起因したものでした
「物心ついた時からずっと安倍」効果
2012年末〜2020年まで第二次安倍政権(約7年8ヶ月)。
この期間に10〜20代だった層にとっては
「総理=安倍」が“普通の風景”
政権交代のドタバタ(民主党政権期)は小さい頃〜記憶があいまいな頃
つまり、**政治のイメージが形成される思春期〜青年期に「安倍政権がデフォルト状態だった」**んですよね。
このとき起きやすい心理は:
「特に大きく崩壊もしていない → まあ現状維持でよいのでは?」
「他の選択肢(野党や別の自民のリーダー)と比べる経験が少ない」
「長く続いている=安定している」という“錯覚的安定感”
要するに、
若者が安倍を“積極的に”支持した、というより
「変える理由もないし、見慣れてるし、まあこれでいい」
という消極的・慣れの支持の側面がかなり強いと思ってよいです。
これは広告でいう「単純接触効果(mere exposure effect)」にかなり近い発想で説明できます。
「よく見るブランドはなんとなく安心する」みたいなやつです。
これが若年層の安倍総理支持の実相なので高市総理支持とは全く異なるものです
みんなオジサンが大嫌い
もう長い事TV自体が事務所にないしTVをずーーーっとつけっぱにしとくなんてことは
めちゃくちゃご無沙汰だったんですが、先日ロケで地方に行ったときに
スタッフさんとホテルが同室でその方が部屋のTVをつけとかないとイヤ!系な方だったんで
ほんとーーーーに久しぶりにだらーーーーーっと何時間もTV番組を見たんです。
で、これ僕だけの感覚じゃないと思うんですが
とにかく報道番組やワイドショーで流されるニュースやネタが、
とにかく暗い&なんか古い・・・・・・・
大きなトピックがあるとき以外はGOOD NEWSよりBAD NEWSの方が視聴率がとれるの法則にしても
なんかどよーーーーーーんとしてたんですよねTV。
でそこに女性総理としての高市女史が映ると、若干「目新しさ」がやっぱり感じるんですよ
少なくとも「オジサン」が映る時間はその分減る→そしてホッとする。
みんなオジサンが大嫌いなんですよ。
頂き女子りりちゃんと高市総理の共通点
なぜかリベラル界隈では高市総理を「媚」としてとらえる論調が多いですがまったく逆です
おぢ社会、それは日本にまだ残る最後の“湿った構造体”だ。
上下関係と根回しで回るゼンマイ式システム。
怒鳴る声がルールで、沈黙がマナー。
その空気の中で酸欠になりながら育った世代が、
今ようやく息を吸いに外へ出た。
いただき女子りりちゃんは、個のレベルでその空気を燃やす。
おぢの欲望を燃料に、笑いながら爆発する。
「あなたの愛、古い仕様です」って微笑みながら、
おぢの構造ごと口座を空にする。
破壊じゃない、再設計。
愛も金も、もうあなたたちの定義で動かない。
そして高市サナエ。
国家というサーバーにroot権限で侵入し、
「おぢ社会OS」をごっそり上書きする。
ヒールを鳴らす音が、バグ修正のクリック音。
スーツ群像の中でひとりだけ再起動の光を放つ。
若者が彼女を支持するのは、政策なんて細部じゃない。
ただ——もう灰色の画面は見たくない。
新しいUIが欲しい、それだけだ。
りりちゃんもサナエも、形は違っても同じコードを書いてる。
怒りと笑いを混ぜて、
おぢ社会というプログラムを静かにクラッシュさせる。
そこにあるのは、憎悪じゃなくて疲労の臨界点。
もう十分だった、っていう、長い溜息のあとに来る最初の一撃。
おぢたちが作った世界を、
彼女たちは笑いながら削除していく。
Deleteキーを押す指先が、未来のポリシーになる。
この国は長い間、怒りの爆発を許さず、
我慢と根回しを「成熟」と呼び続けてきた。
でも2020年代の若い世代は、もう「我慢しない」を選んでる。
それは革命じゃなく、代謝。
古い細胞が疲れて崩れ落ち、新しい回路が静かに光る瞬間。
「疲労の臨界点」っていうのは、
絶望の終点じゃなくて、更新の始点なんだ。
そこを越えたとき、社会はもう、前と同じには戻らない。











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