殺人鬼の性欲を暴け!! Addison Rae様出演のNetflix「モンスター: エド・ゲインの物語 」のTRAILERが素晴らしすぎる(号泣)

2025年11月8日XR映画レビュー

こーーーーーーれは凄い!!!!!!!!!

当アカウントは間違いなく日本では全くその途轍もない「POPNESS」について言及されていない
Addison Rae様の凄みについてずーーーーっとお伝えしてきていますが

さーーーーーーーすがRyan Murphy姐さん!!!!!!

ライアン・マーフィー(1965年生)は『glee』や『アメリカン・ホラー・ストーリー』などを手がけたアメリカの脚本家・プロデューサーで、新聞記者から転じて映像界で成功し、自らゲイであることを公言しつつ作品にLGBTQ+やジェンダー多様性を積極的に反映させ、数々の受賞歴を通じてハリウッドにおけるクィア表現の拡張に大きな役割を果たしてきた人物です。

自らが手掛けるNETFLIXでの「殺人鬼」シリーズの最新作
MONSTER: The Ed Gein Story

にAddison Rae様をキャスティング!!!!!

血塗られた土間から立ち上がるのは単なるホラーの亡霊ではない

エド・ゲインを巡る物語はこれまで、皮膚を剥ぎ、墓を暴き、冷蔵庫を覗き込む視線ばかりを肥大化させてきた。

それは正しくエクスプロイテーションであり正しく「映画」であったけれど

だがNetflixの MONSTER: The Ed Gein Story のトレーラーは違う。そこに映るのは、性欲と生存欲と、そして「聖」なる渇望に同時に絡め取られ、我々の誰もが持つ〈闇の回路〉を増幅した人物としてのゲインだ。

ED GAINの欲望は「僕」だ! そしてエドゲインの欲望は「アナタ」だ!!

ライアン・マーフィーがこのシリーズで放とうとしているのは――殺人鬼を化け物として切り離すのではなく、視聴者ひとりひとりの内奥に潜む「ゲイン的欲望」を正視させることだ。欲望とは愛の裏返しであり、愛は聖への接続を求める。だからこそ、殺意と愛慾の区別は常に曖昧に滲む。そのグラデーションを、マーフィーは映像のなかで裂け目のように提示する。

では、なぜアディソン・レイなのか。TikTokから爆発し、インスタグラムのフィードをセックスシンボルとして席巻した彼女を、
ゲインの「被害者」としてキャスティングする意味は??

欲望の鏡像装置としてのアディソン・レイ

彼女の笑顔やダンスは、アルゴリズムの潮流に乗って無限に複製され、スクロールする指先の奥で「セックスシンボル」として祀り上げられてきた。だが同時に、そのアイコン性は視聴者の欲望を反射し続ける残酷な祭壇でもある。

マーフィーはそこにエド・ゲインを接続する。欲望と愛と聖性に翻弄され、自らの肉体で祭壇を築いた男と、ネットワークの中で「記号」として肉体を供給し続ける女性アイドルを並置する。すると、観客は悟るのだ——あの狂気の男は過去の怪物ではなく、スクリーンを覗く自分の指先の延長にいる、と。

だからこそ、このキャスティングは残酷なまでに詩的だ。被害者としてのアディソン・レイは「失われた牧歌的な少女」ではなく、「アルゴリズムに焼き付けられた現代の聖像」として提示される。彼女の犠牲はゲインの猟奇を補強するためではなく、むしろ我々が自らの中に抱え込んだ〈ゲイン的性欲〉、〈愛への渇望〉、そして〈救済への欲動〉を暴くための装置となる。

でも!! Addison RaeのPOPNESSのコアとして、ずーーーっと書いてきたその凄みとは
彼女はその欲望のカタチを引き受け、途轍もない「編集力」で楽曲にしていることなのです

アイドルはなぜホラー映画で殺されるのか?

それは〈観客〉がそれを望んでいるからだ。

アイドルとは何か?
それは祈りの対象であり、性的な欲望の対象であり、そして同時に「自分だけのものにしたい」という独占欲と、「誰にも渡したくない」という殺意の板挟みに置かれた存在だ。ファンダムとは祝祭ではなく、崇拝の皮を被ったサイコスリラーだ。

「推し活」はいつから〈接近禁止命令の一歩手前〉のような感情を孕みはじめた?
「推しに彼氏がいたら死ぬ」
「推しの卒業は殺されたも同然」
「推しに無視されたから燃やす」

——これらの言葉は比喩じゃない。
これこそが、「快楽殺人者」と「被害者」の構図の再演なのだ。

ホラー映画において、アイドル=cheerleader、アイドル=virgin、アイドル=It-girlは、必ず真っ先に惨殺される。だが観客の興奮はその殺害そのものにではない。「殺される瞬間に彼女がどんな表情をしたか」「逃げ惑う姿がいかに美しかったか」「最後に名前を呼んだのは誰だったか」——この「想像力のスロー再生」こそがファンダムの欲望と重なるのだ。

つまり、
推し活とはホラーだ。
ファンは監禁者であり、カメラの後ろの殺人者だ。
愛とは「殺したいほど好き」の言い換えではなく、「死んでほしいほど美しくあってほしい」という願望だ。

だからこそ、アイドルは殺される。
殺されることで、永遠のフィルムの中に閉じ込められる。
血塗られた制服のまま、永遠に「可愛いね」と言われ続ける。
そう、殺害は〈永遠化〉なのだ。

ホラー映画の中でアイドルが殺されるのは、
その映画の中に閉じ込めたいファン心理そのもの

Ryan Murphy姐さんがこのED GAINという「推し活快楽殺人」の物語で描きたいのはその「永遠化」の物語だと思います

エドゲインは何故、殺した女性の皮と骨でアートを作らなくてはならなかったのか?

——アイドルを推すとは推しの墓を掘りながら、推しの祭壇を築くこと

推し活とは快楽殺人だ。

そしてこの文化の中で、私たちはみな、加害者であり被害者であり、最後の一人が振り返るスラッシャーのエンドロールそのものなのだ。

このTRAILERだけでここまで言い切るのは無謀だけど

それくらいこのTRAILERは素晴らしい!!!

勿論10/3にNETFLIXで解禁されたら見てまたレビューします!!

もう一度聞く。
あなたの推しは、もう死んでいるのではないか?
それとも、あなたが殺したのではないか?

11/8追記。よーーーやく本編を見ました!! 海外ではこの「モンスター」シリーズの特徴だった「リアル」さが全くなくなっていて酷評されていますがメタなKILLING CULTUREリファレンス(「羊たちの沈黙」はなぞっただけでNGだったけど)とKINKYなGAYイメージがJUXTAPOSEしたてんこ盛り作品で最高でした!! でも予想してた「殺人者の性欲」テーマではなく、この作品のメインは「おんなという魔物」「(母親だけじゃなく)オンナこそがオトコを狂わせる」で徹底的に統一されていて、本当のモンスターとは女であるっていうザ・ライアンマーフィー姐さん作品でした!!

2025年11月8日

Posted by nolongerhuman