Vase de Noces 世界で一番孤独な映画

XR映画レビューVase de Noces, Wedding Trough, ケネスアンガー, 脚本

この記事では・映画史上最も孤独な「儀式映画」VACE DE NOCESについて
・その孤独が持つ圧倒的な現代性
について書いています

XR脚本術に置いて最も重要視されるのは
「構成」でも「人間関係」でもなく「孤独」で
脚本を書く者にとってその状態=「世界でたった一人」
である事がどういう意味を持ち、自らの孤独を突き詰めた時にだけ
そこから立ち現れるVOICEこそが脚本のコトバとなる
とお伝えしてきてますが、そんなXR脚本術に
到るまでに参照した様々な映像作品の中で
ほぼ究極に、そして最も残酷に・美しく・醜く
容赦無く「孤独のカタチ」を描いた映画史上最も孤独な映画
それが「Vase de Noces(Wedding Trough)」です。

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沙奈絵ちゃん

1974年の作品なのにテーマ的には「聖なるズー」と同じですね
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人間失格

孤独のカタチのあり様としては、あの「追悼のざわめき」にも繋がってる大傑作なのに
日本ではほぼ取り上げられる事がない文字通りカルト映画なんだニャー!!

50年前の奇妙な儀式

初めてこの映画について知ったのはもう10年以上も前の事でした
今でもやってる事は同じですが、当時もDJが70年代のVINYLを
レコ屋でDIGする様に、ネット上で海外の映画ネタサイトを
パトロールしていた時に偶然見た
上にも貼らせていただいた子豚と青年が抱擁するスチールとそしてもう一枚

にも関わらずタイトルは「Vase de Noces」=婚礼の壺。
でも僕はそのタイトルとスチール二枚だけでこのVACE DE NOCESが
どういう映画なのか完全にわかった!!と思ったのです。
これは「儀式」RITUALの映画なんだ、と。
現在では多くのCLIPがYOUTUBE上に存在しますが
その時は動画情報は全くなく、なんとか手に入れたDVDで
本編を見た瞬間、まぁ多分こういう感想をこの映画に持つのは
日本ではぼく一人なのかもしれませんが
「この主人公は僕だ!!」と叫んでいました・・・・・

儀式映画作家KENNETH ANGERの方法論

映画史において最も著名な「儀式映画」は何と言っても
ケネスアンガー先生の諸作品です。
この貴重なドキュメンタリーの中でアンガー監督自身が言及していますが

先生にとって映画は「ストーリー」を物語るためのものではありません
悪魔を、未来を、エクスタシーを呼び込むための装置=儀式です。

代表作であるLucifer Risingをホント頭の悪すぎるFilmarksの諸氏が
内容がないとかわからないとかストーリーがない(だからそんなもん最初から
ないんだっちゅーの!)とか書いてしまうのはそれが「儀式」の記録
だという事が全くわかっていないからです・・・・・・

脚本本においてよく「アクションで語れ」なんて事が書かれていますが
上のドキュメンタリーで言われている様にケネスアンガーにとって
アクションとはイコール魔法の事でありDO OR DIEの秘儀であり
僕たちはそのストリームへと入るために同じアクションを起こさなくてはならない
言い方を変えれば「儀式映画」とは"見る"ものではなく"やる"映画」なのです。

悲しき熱帯に住む僕等の本当の孤独とは?

極彩色とQUEERイメージと黒魔術のメタファーで溢れかえった
Kenneth Anger作品とは真逆のほぼ廃屋と豚と汚物だけしか
出てこないVACE DE NOCESはそれでもれっきとした儀式映画です。
元々「儀式」とはなんのために何故行われるのか?
多くの場合それは神と人間がかつて持っていた関係性を
抽象的に再現するために行われます。
人と人ではなく神と人の間にあるもの
哲学者のレヴィ・ストロースが「野生の思考」で述べた様に
かつて神と人の間には確かに何かが存在した、しかし
それを失った我々は「悲しき熱帯」に住む孤独者なのだと。
そしてVACE DE NOCESの1974年から約半世紀
SNSで人と人の関係性に24時間縛られ、「みえる化」されないものは
イコール存在しないと言ってもいいくらい脅迫的な数値化に晒されている
現在、その「みえない」何かの不在、SNSでは「繋がれない」孤独の意味など
無用の長物の様に思われています。
ストーリーは僕らに囁き続けます、「人と人との関係性さえ解決されれば
万事順調」だと。人間関係こそ、そしてそこにおける評価だけが
僕らに必要なものだと。だから脚本も人間関係を描かなくてはならないと。

そんなはずないじゃんね? というのがXR脚本術です。

僕らが今いる本当の地平はVACE DE NOCESと同じ廃屋とブタと汚物だけ
しかない荒野だ。というのがXR脚本術です。

その時僕らはどう生きるのか? どんなやり方でその何かと繋がるべきなのか?
究極の孤独の中で行われるべき「儀式」
それを完全なまでに実況したのがVACE DE NOCESという作品なのです。

XR脚本術で書いた「無敵の人3.0」はジャーロをはじめ様々な
過去の孤独映画を参照していますが、基本的な部分では
VACE DE NOCESのアップデート版だと思っています。

まとめ


人と人との関係より人と何かの関係性を上位に置くっていうのは
オカルトって事じゃないですか? という方はミッドサマーやアナイアレイション
そして当ブログがTwitterで毎日紹介している世界中の最新映画達の多くが
ストーリー的人間関係ではなく
ストリーム的何かとの関係へとテーマをシフトしてきている事。
そしてそれらの作品群が今までオカルトとされてきた
「その何かによって人間関係が脅かされる」という構図ではなく
「その何かとの関係性によって孤独を再編集する」というXR的な語りへと
向かおうとしている潮流をぜひ感じてください。
そして今の所その頂点にあるのがXR脚本術で書かれた「無敵の人3.0」であり
その源となったVACE DE NOCESなのです。

今回も記事を読んでいただき誠にありがとうございました。