ジャン・ローラン 早すぎたXR映像作家の脚本術

2020年3月2日XR映画レビューJean Rollin, ジャンローラン, 夢幻能, 岡田史子,

この記事では・何故ジャンローラン作品は女性による再評価が進んでいるのか?
・Jean Rollin作品とは「夢幻能」である
について書いています。

昔から所謂男の子が好きな映画より
何故か女の子が偏愛する映画達が好きです。
例えば鈴木清順作品
清順監督の作品に出演する俳優は皆狂っていくけれど

「陽炎座」で松田優作と中村嘉葎雄が狂ってしまった逸話は有名なので
是非GOOGLEセンセイでお調べ下さい

女優達は嬉々としてそのストーリーが壊れていく
奇想天外なストリームを楽しんでいる。

最近は女の子でも2次元ヲタの子が増えて
男女で好きなものの傾向が被り始めてますが
この5年ほどで海外では女子人気が圧倒的に増えて
そんな女の子偏愛映画の仲間入りを果たしてくれて
昔から熱狂的なファンだった僕は凄く嬉しい
ジャン・ローラン作品のお話です。

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沙奈絵ちゃん

アメリカだと図書館協会が運営してるストリーミングサービスの
「KANOPY」でほとんどの作品見れるんですよね
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人間失格

そう! 実はむかーしは(日本を除く)NETFLIXでも配信してたのに
止めちゃったんだよね
この再評価ブームに合わせて是非復活して欲しいニャー

究極のGIRLIE MOVIEとしてのジャンローラン作品

僕のJean Rollin作品との出会いは海外のユーロトラッシュサイトでの
やはりこの有名なスチールでした

傑作「FASCINATION」でブリジット・ラーエが犯す猟奇犯罪

いままで見た映画のシーンとして一番好きなもののひとつ
この屠殺場での不穏すぎる飲血シーン・・・・・
今ではAMAZONでも新宿のVIDEO MARKETサンでも普通に手に入りますが
やっとのことでなんとか入手して「FASCINATION」全編を見た時の
衝撃!!

Lips of Bloodの岡田史子女史な魔術的リリシズム


Requiem for a Vampireの超ーーーGIRLIEで完璧なロードムービー感

そこには正に「女の子」達が生きていて
それ以外の事は撮る気がない!と宣言しまくっている

究極のGIRLIE MOVIEの数々を見て
心の底から「こーいう撮り方でOKなんだ!!」と確信しました。

ジャンローランは何と闘ったのか?

近年の女性達からの再評価以前
ジャンローラン作品とはイコール、
「起承転結のないダラダラとしたソフトポルノ」
「印象的なイメージが幾つかあるだけのエクスプロイテーション」
「現場で即興で作った脚本によるジャンクムービー」
と卑下され続けてきました。
が、ちょっと待って!!と。
「起承転結がなく」て「強烈なイメージが満載」で
「即興の脚本」で作っているのなら、
これこそ最高のXR映画じゃないですか!
作品を見れば、そしてXR的観点から見れば完全にわかりますが
Jean Rollin監督は意図的に起承転結をストーリーを
強烈なイメージ群とロケ地におけるインスピレーションで
殺しにかかっている。
ジャン・ローラン作品で繰り広げられる狂おしくて
美しくて猟奇的な惨劇は監督と「物語」との血みどろの闘いの記録
である事がわかると思います。
そして僕はジャンローラン作品とは「能」だと思っています。

夢幻能・XR・そして女の子

幽玄の世界。
能とはあちら側とこちら側を繋ぐ異界のストリームであり
こちら側、現世の論理・ストーリーは「常世」から流れ込む
能独自のリズム(グルーヴ)と舞によって再編集されます。
登場する人々が生きているのか死んでいるのか
目に映るイメージ・風景が幻覚なのかリアルなのか
全て自明であったものが溶け出してしまう世界。
そんな「能」の方法論とジャンローラン作品は酷似しています。
インタビューでJean Rollin監督自身も明言しているのは
「なんで女の子達をむやみにウロウロと歩かせるんだ?尺稼ぎか?
なんて非難されたけど、わかってないなぁと思うね。
彼女達の美しさがカメラを横切る時、見えない何かがスクリーンには
映ってるって事をね」

ジャンローラン監督にとって脚本とは
ストーリーによっては決して発生しない
その「何か」を撮るためのものでした。

女の子の美しさとイメージと監督が愛した「古城」という
ロケーションの三位一体による映像における錬金術
夢幻能と同じ、見るもの(ワキ)の視点を無人称へと誘う
XRな世界を撮ろうとしていたのがJean Rollin作品なのです。

まとめ

2017年にジャンローラン作品に関する画期的な研究本
「LOST GIRLS」が出版されました。

この執筆者が全員女性のJean Rollin作品評論の決定版は
ある一つの批評軸を持っています。
それは「ジャンローラン作品の中にこそホントウの女の子の姿がある」
というものです。
何故Jean Rollin作品において正しく女の子達は描かれたのか?
それは彼女達を決してストーリーの中に閉じ込めなかったからです。
現世でLOSTしてしまったGIRLS達は彼女達自身の真の生・聖・性を
求めて古城へと集まり、女の子の女の子による女の子のための
儀式を始めた。
そんな秘密の場所へジャンローラン監督だけは招かれ
カメラを回すことができた。
そこに映し出されたのは「物語」ではなく女の子達による「儀式」であり
Jean Rollinは彼女達と共にその「何か」が現れるのを待っていたのです。
そんな監督の姿をこそ僕等はXR脚本術の先駆者として
2020年代新たに捉えなおす必要があると思います。

今回もお読みいただき誠にありがとうございました。

 

2020年3月2日Jean Rollin, ジャンローラン, 夢幻能, 岡田史子,

Posted by nolongerhuman