何故彼女達は新曲MVで踊らなかったのか? BLACKPINK待望のカムバ曲「JUMP」世界最速徹底考察レビュー!!
つつつつ遂にDROP………………….
当アカウントは日本で最初のBLACKPINKの記事を書き
勇気をもって今回のカムバックへと繋がるBLACKPINKの悲劇的な状況にも言及し
この休止期間中の全てのソロワークのレビューも行ってきました
そして先ほど2年十か月ぶりのBLACKPINK新曲「JUMP」が解禁となりましたので世界最速考察レビュー!!!!
目次
なぜ「JUMP」のMVでBLACKPINKは「踊らない」のか?
実はここが今回のカムバ曲の最大のテーマになっていて
この先日行われた最新LIVEツアー「DEADLINE」での「JUMP」のパフォーマンスでは
確実に「JUMP」のコレオグラフィーはあります
しかしこのMVではこれまでのBALCKPINKの楽曲・MVにおいて最も重要だった
彼女たち自身によるコレオグラフィーカットは全く存在しません。それは何故か??
なぜMVで映画「トロン」がオマージュされているのか?
そしてこの「JUMP」MVで明確に世界観のコアになっているのは
サビパートでオマージュされるSF映画の金字塔「トロン」です
■「トロン的ヴィジュアル」が持つ意味とは
まずは定義から。
1982年の映画『トロン』――コンピューター世界の内部を描いた先駆的SF。
特徴は:
ネオン光の輪郭線
仮想空間としての空間デザイン
デジタルに還元された人間存在
テクノロジーに支配された世界観
つまり、「トロン的」とはデジタル化された非人間的世界における人間の境界の喪失と再定義の試みで、
BLACKPINK「JUMP」がこのトロン的表現を採用することで何が起きているか?
それはズバリ、身体の拡張と収奪の同時進行の世界線を作る事
ここにどうしてこのMVが「ディストピア」イメージで埋め尽くされているのか?のカギがあります!!!
1. デジタルの荒野としての“都市”
MVに登場するトロンとゾンビとAIが共生したような非現実的な都市
そこは人間性が解体された情報=群衆のサイバースペース。
だが、そこに
BLACKPINKは肉体を持って登場する。
「身体」を保った最後のアイコンとしてのBLACKPINK。
彼女たちはその空間に染まらない、“踊らない”ことでそのルールに従わない。
これは反テクノロジーではなく、テクノロジーを超越した存在としてのBLACKPINKの再定義化であり新しい女神化でもあります
2. 踊る群衆=アルゴリズムに支配された身体
一方、彼女たちの周囲にいる群衆は踊る。けれどそれは快楽や自発性ではなく、命令された動きだ。
それはTikTokのダンスチャレンジのように、匿名的で複製可能な動き。
つまり“踊ること”すら、ここでは自由ではない。プロトコル化された身体運動にすぎない。
これこそが、トロン的空間で最も恐ろしい点――自由に見える自己表現が、じつは制御されているという現実。
3. BLACKPINKは「脱アルゴリズム的モンスター」へと変貌する
トロン的空間では、データ化されない存在はない。すべては記録され、計測され、評価される。
だがBLACKPINKはそのなかで、踊らず、跳ばず、沈黙を貫く。
この「無言」の強度が、逆に神々しいまでの超越性=アルゴリズム外存在を演出する。
つまり、彼女たちは観測可能でありながら**計測不能な「異物」**という名の新しい「アイドル」になるんです
大胆に予想するとこのMV、BLACKPINK以外の人間は全部生成AIによるリアルアバターだと思います
踊るのは誰か? 踊らされているのは誰か? そこに主体はあるのか?「JUMP」はその問いそのものだ。
MVの中盤、BLACKPINKの背後に蠢くのは無数の民衆。顔のない者たち。群衆。匿名性。
だが彼らは狂ったように踊る。跳ねる。叫ぶ。
BLACKPINKは彼らの中にいない。祭壇のように鎮座し、彼女たちは跳ばない。
このMVで描かれるのは、
もはや“BLACKPINKが世界を魅了する”という構図ではない。
彼女達が不在の間にダンスマカブル (Danse Macabre)のような奇妙な死の舞踏を踊らされた人々の覚醒をうながす
WAKE UPコール
沈黙の時代を終わらせる黙示録的リザレクション!!
BLACKPINKが姿を消したとき、音もなく世界は“静止”した。
けれどその空白を埋めたのは歓喜ではなく、反復と模倣の地獄=死の舞踏だった。
「死の舞踏」とは何か?
もはや己の意思で踊る者などいなかった。
アルゴリズムに操られ、リールに踊らされ、
流行に振り回される顔なき群衆たち=ダンス・ゾンビ。
これは中世の「死の舞踏(Danse Macabre)」、
死者と生者がともに無意味に踊り続ける終末的ヴィジョンの現代的リミックスだ!
そう、人々は“死んでいた”のだ。
BLACKPINKがいなかった時代、踊りはあったが、魂はなかった。
その地獄に落ちた人々を目覚めさせる「JUMP」!!!
トロン的デジタル墓場――光るライン、同期する群衆、意味なき熱狂。
そこにBLACKPINKが降臨する。
が、踊らない。跳ばない。叫ばない。
「跳べ」とは言わず、「跳べるはずだ」と眼差すだけ。
それが「JUMP」の最大の暴力性。“自発性を取り戻せ”という新しいメッセージ
それは「踊れ」ではなく、「踊らされるな」というメッセージであり
BLACKPINKが踊らないのは、
もう誰にも「正解の型」を教えないという宣言。
振り付けは、もういらない。
リールも、チャレンジも、コピーダンスも、もういらない。
今ここで、お前自身の“跳び方”を見つけろ。
それが「JUMP」。
まさに「死の舞踏」から目覚めよという福音書的ビート!!!
跳ぶのは、あなた。
踊るのは、あなた。
そして今こそ、
死の舞踏を終わらせろ。
JUMP!!!!!!!
というコンセプトは鮮明にわかるんだけど
BLACKPINKの約3年ぶり、しかも個々のソロワークが
いうまでもなくKPOP史を超えてPOP MUSIC史における金字塔となった「APT」を筆頭に
ほんとーーーに素晴らしかった後での本体作品としてどーーーなのといえぱ
MV監督のDAVE MEYERSはぶっちゃけBLACKPINKの本質を理解していないのは明白で
でも!!!! BLACKPINKというKPOP史のレジェンドが、再び新たなPOPNESSを獲得しようとしている
というその挑戦的な姿勢は素晴らしいと思います















ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません