ポップカルチャーの観点で完全解説! 日経平均株価 最高値更新のナゼ??
実は既に当アカウントの結論的には「金融資本主義はこうなります!!」というミライを詳細に解説してますので
日本の株価とかなぁ・・・・だったんですが
流行りネタに弱いので明らかに「イケイケどんどん」な情報発信が続いている日本の金融関連の動画を見まくってみたんですが
どーーーーも根本的なところが
「わからない」
というかもちろん経済マスターの方々のおっしゃっている事はわかるんだけど
なぜかその解説が何かの真実についての言説であるという感触がない感じ
最初はそれは僕が金融マターに詳しくないからかなぁ・・・・と色々深堀りしていく内に
あーー!!!!と突然その「感触のなさ」の意味がわかりました。
それはそもそものところで
「金融・株式とは何か??」
という大前提が全然違うんだ!!
実は金融・株式の「市場」って非常ーーーーーーーーーーーーーにポップカルチャーと激似なのに
なぜか全然その文脈で金融や株式というシステムが語られていないからわかりにくいんだ!!
と気づきました。
そこでこのエントリーではポップカルチャーの視点から現在の
日経平均株価 最高値更新が持つ根本的な意味を完全解説していけたらと思います。
目次
金融・株式市場とはクラブカルチャーのことである
僕は昔からすごく感じていたのは
いつも所謂証券取引所の写真を見ると


何か似てるよなぁ・・・・・と思っていたんですが
今回それがパキーン!!!とわかったのは
あーーーーーこれCLUB内を撮った写真に激似なんだ!!と


実際「The Wolf of Wall Street」や「American Psycho」を筆頭に
金融とクラブカルチャーがいかに密接に、特にドラッグユースでブーストされることで
如何に文化的に相似形であるか??というテーマの作品は数多くつくられてきました。
それは一見これらの作品の多くで描かれているように
「株の売買で大金を得て、クラブでコークでハイになってどんちゃん騒ぎをして、またコークを決めてバリバリ稼いで」
の無限ループの関係のことのように思われるかもですが
そうではなくてもっとコアな部分で金融とクラブは似ている
それはどちらもが
「祭り・祝祭空間というナラティブ」
によって成立しているからです
金融・株式市場における祝祭空間というナラティブとは?
🎉 金融市場=先取り祝祭の場
金融市場は、「実際に良くなるかどうか」ではなく、
「良くなりそう」って誰かが言い出すと、みんながその“期待”に賭けて踊り出す。
これが、いわゆる「リスクオン相場」です。
📈 景気が回復しそう
📈 金利が下がりそう
📈 新技術で世界が変わりそう
📈 誰か(FRB、日銀)が支えてくれそう
こんな「期待の囃し言葉」が流れれば、それがまだ現実になってなくても、祭は始まる。
つまり金融・株式市場を支えているのは、えーーーーーーーーーーーっていうくらいシンプルに一言で言うと
「どれだけ盛り上げれるか?」
「どれだけ大声で大勢でワッショイ!!!の掛け声を上げられるのか??」
っていう正に「祭り」の場なんですね
ではこのお祭りワッショイ・祝祭ナラティブがどのように金融・株式市場で機能しているかというと
■ 金融市場は“予定された未来”を先取りして祝う装置である
これは、クロード・レヴィ=ストロースの構造主義的神話観と重なります。
原始神話は「現実に起きたこと」ではなく「起きるべきだったこと」を語る。
金融市場も「今良い」ではなく「良くなるべき未来」を信じて踊る。
👉 現実よりナラティブが優先される構造。
「金利が下がるかもしれない」「AIで未来が変わる」
──これらは**“予言”であり、“祭りの召喚”**なんです。
■ わっしょい神輿=マーケットのナラティブの具象化
神輿に担がれるものは…?
「生成AI」
「半導体革命」
「日銀のYCC修正」
「テック企業の未来」
「クジラ(年金基金)の買い」
👉 これらが神輿=象徴的中心になり、投資家たちはそれを「信じる者同士」で担ぐ。
ただし、中身が空洞でも、担ぐ動作そのものが祝祭になる。
信じる者が多ければ、それは「価値」になる。
市場とは「信仰の多さ」が「価格」を決める唯一の空間。
つまり金融・株式市場とは、基本的に
実体なき未来
を祝う、物語と信仰の祝祭装置である。
人々は「わっしょい!」の掛け声とともに、自己実現的な希望を担ぎ、踊り、そしてまた壊す。
そしてやはり都市における祝祭空間としてのクラブカルチャーもほぼ同じ原理で成立してる空間です
非日常・一夜限りの祝祭
→ 株高も「いまだけの期待」で騒ぎ立てる。
誰でも入れるけど、ノリについていける人しか楽しめない
→ 機関投資家やトレーダーだけがわっしょい可能。庶民は「爆音うるさいな…」で終わる。
DJ=ナラティブ生成者
→ FRBや日銀、イーロン・マスクが一声かければ、群衆は一斉に踊り出す。
ドラッグ的トランス状態
→ 株価の上昇自体が快楽物質のように作用する(上がっていることが「気持ちいい」)。
👉 クラブ空間は現実逃避とトランスの場であり、市場の「わっしょい」そのもの。
さらにいうと金融・株式市場という「祭り」もクラブという「祭り」も
参加するには「仲間・プレイヤー」になる必要がありました。
1990年代までそれは一部の人々のみに許された空間でした。
それが徐々に変化していきます。
なぜ株式市場の「祭り」は実体経済と接続しなくなったのか?
一部のプレイヤーだけが特権的に参加していた株式クラブ的祭りだった時代
その祭りの狂騒は実体経済と接続していました
■ 高度経済成長〜バブル期直前(1950〜1980s)
企業の株価が上がる
↓
企業が設備投資・新規雇用・賃上げ
↓
国民の給料が上がり、消費が増え、また企業が潤う
↓
🎉 **「株高 → 実体経済 → 庶民もわっしょい!」**の連動モデル
この時代のキーワードは:
“分配”が株価上昇とセットだった
株主資本主義ではなく、まだ“従業員資本主義”の香りが強かった。
言い方を変えると
・祭りでワッショイワッショイ!!と参加するプレイヤーもそれを見ながら楽しむ人々も
祭りという「抽象化されたミライ」を信じていた。
祭りに楽しさと勇気をもらうことでミライを実現しようとしていた時代
① 経済モデルが「株主」より「従業員・取引先・国家」に向いていた
当時の日本は 「株主資本主義」ではなく「ステークホルダー資本主義」。
企業の最優先は「雇用の安定」「規模拡大」「国際競争力の強化」であって、配当や自社株買いは二の次。
バブル期までの日本企業は 株主=資本提供者の一部にすぎない存在とみなされ、従業員・取引先・銀行・国の方が重要なステークホルダーだった。
② 「メインバンク制」と「持ち合い株」の慣行
日本企業の資金調達の中心は「株式市場」ではなく 銀行融資(メインバンク制)。
株式は「持ち合い」によって安定株主が固定化されていたので、敵対的買収や株主アクティビズムはほぼ存在しなかった。
そのため株価の上下や配当水準は、経営層にとって今ほどプレッシャーではなかった。
③ 国家の成長戦略と「国民経済優先」の思想
戦後復興〜高度成長は「国家資本主義」的な色合いが強かった。
政府(通産省)は企業に「内部留保を投資に回し、雇用と生産力を拡大せよ」と求めた。
そのため、株主配当よりも設備投資・輸出強化・技術開発が推奨されていた。
これは「所得倍増計画」に象徴されるように、株価上昇→設備投資→雇用・賃金増加→消費拡大という「国民総参加型の経済循環」が最重要だったから。
ところがこの関係性が変わっていきます
■ バブル期からグローバル金融資本主義の進化(1990s〜)
冷戦崩壊後、金融市場は世界共通のカジノ場に変化:
株式を持つのは日本人ではなく機関投資家(米国・海外ファンド)
企業の利益は「従業員に還元」ではなく「自社株買い+株主配当」へ
投資家は「株価が上がればいい」、現場の社員の給料なんて関係ない
👉 株価が上がっても、庶民に金は落ちない。
この変化は「グローバリズム反対」系の政党(れいわ、参政党etc)の経済主張の一番地になってる部分で
昭和の方が、金融を含む日本型経済システムの方が良かった!!論になるわけですが
これもクラブカルチャーの変遷と比較するとよくわかる。
株式市場と実体経済が接続していたERAっていうのは
まだ地域コミュニティーレベルのDISCO、CLUB時代
フロア全体の熱量(経済成長)を上げることが最優先で、DJブースのVIP(株主席)に特別サービスをする必要がなかった。
ところがクラブカルチャー史でも定番の流れですが
こうしたCLUBが大箱化、そして「LOVE PARADE」のような初期のダンスフェス化していくのがちょうど2008年までのグローバル金融資本主義時代
この過程で起こったのは正に金融・株式市場とおなじ
「資本の論理による祭りの統制化」
でした。
ビッグマネーが流入して規模は大きくなっていくけれど、そこでのCLUB体験は「レジャー」であり
LAST NIGHT DJ SAVED MY LIFE的、生の根幹を揺さぶるような「体験」ではなくなってしまう
「祭り」が「政り」と化した時クラブカルチャーを直撃したのがAIDSでした
そして同じように熱狂が狂騒と化した株式市場を直撃したのはリーマンショックでした
EDMを終わらせたコロナ。パンデミックは株式市場にも起こるのか?
体験としての「祭り」がもつ抽象性のコアにあるのは死と再生ですが
CLUBカルチャーという祭りも金融・株式市場という祭りも
俯瞰してみると正に死と再生を繰り返して現在に至っていて
2008年のリーマンショックで死に体化した金融・株式市場は
CLUBカルチャーがEDMの出現によって完全に大型フェスへと変貌したように
現在の日経平均株価 最高値更新にまで至る拡大をしてきています。
しかし繰り返しになりますが祭りとは死と再生の儀式です。
もちろん今でもEDM系の大型フェスは行われていますが
2019年のコロナによってEDMは死にました
そして昨今英国で話題になっているのは「CLUBカルチャー自体の終焉」です
でもポップカルチャーを追っかけている人間からすると
とにかく2019年ぐらいからは恐ろしいくらい新しいポップミュージック・ダンスグルーヴを生み出せなくなってしまった
CLUBカルチャーが再生するための時期なのだと認識しています。
では!! クラブという祭りを終わらせてしまったコロナのような「神の一撃」が
金融・株式市場にも来るのか?
ぼくは必ずくると確信しています。
だってそれはCLUBにも起こったことなんだから!!
今の株式市場の謎にデカい「ワッショイ」のコールは
EDMが「DROP」によって最高潮を迎えていた時とほぼ同じだと思います
ただ!!!! ここが今回深堀りしてみて一番おもしろかったところなんですが
確実に今の金融・株式市場はリーマンショック時ばりに死んでしまうんですが
それは社会がメタモルフォーゼするためにどうしても必要な事態だってことがもうわかってたりするんです
今の株高祭りを終わらせるものの正体とは?
① EDMフェスの「崩壊」と神の鉄槌
コロナ禍によって世界中のEDM系フェス(Tomorrowland、Ultra、EDCなど)は活動停止。
→ 数十万人規模の「大箱祝祭」は最もリスクが高く、社会的に「真っ先に切り捨てられる」文化だった。
黙示録的に言えば、「大衆資本が生んだFAKEな祝祭」への裁き。
AIDSが「享楽的身体」を突き刺したように、コロナは「資本化された陶酔のフェス」を直撃。
② 金融・株式市場の現状
いま(2020年代半ば)の市場はむしろ過去最大級の規模に膨張。
→ 世界株式時価総額は100兆ドル超、債券も巨額、デリバティブ市場は天文学的数字。
中央銀行のゼロ金利政策・QEの副産物で、まるで**「再び動員されたEDMフェス」**のように巨大化。
しかしその熱狂は「金融工学の新しいビート」ではなく、「資本の集約されたマシーン」に依存している。
という2025年というイマから先、金融・株式市場に何が起こるのか?
もう正解はここに書いてしまってるわけですが
「祝祭の根本ルールの書き換え」
というクラブカルチャーにとってのコロナのような最後の神の一撃
それは「マルアラーゴ合意以降のセカイ」のありかただと思います。
いまの市場の巨大化は「EDMフェスの最盛期」に似ている。だがその上には、黙示録的鉄槌として“マルアラーゴ合意”が控えている。
だから金融・株式市場は死んじゃっても大丈夫!!
だってその瞬間、また地下から新しい祝祭(BTCベースのクラブカルチャー=新市場)が始まるんだから!と。
新しい指標を!! ROEではなく“RHYTHM on Equity”を
実はこのところ今のあらゆる社会的課題を解決するためのモデルとして
「SECOND SUMMER OF LOVE」的社会構造を激推ししてるわけですが
今回色々と深堀りしてみてここから先の金融・株式市場に関しても
必要なのは「サードサマーオブラブ」なんだと思います
☮️☀️ SECOND SUMMER OF LOVE(1988–89)の本質
■ それまでのクラブ=選ばれた者のスタイル主義空間
ファッション重視/クールであれ/ジャンルの壁が厚い
音楽はあっても解放はなかった。
“クラブ”はまだ「消費の延長」だった。
■ アシッドハウスの衝撃=敷居の解体と感覚の民主化
音楽の技術性・ジャンル意識よりも、「とにかく踊れ!」のノリ
薬物・倉庫パーティ・無名DJ=“ハイカルチャーの崩壊”と“即興の共同体”
ロンドンの若者が都市の外で、自分たちの祝祭をつくった
👉 「踊る」ことで生まれたのは、一時的でも実体を変え得るエネルギーの爆発。
それは**“貨幣経済でも政治でもない、共振の経済”**だった。
📉 現在のマーケットはどうか?
RAVEの再分断 → 再び上級クラブ化/金融エリート化/ノリの選別化
踊れる者だけが踊り、音は地上に届かない
期待が回収できない庶民は**「静観」か「諦め」**
👉 いま必要なのは、
再び“踊らせるナラティブ”を実体社会に接地すること。
🔥 いま必要なのは「第三のサマー・オブ・ラブ」
■ 条件はなにか?
形式や成果じゃなく「共振」から始まること
→ GDPや株価ではなく、「感じた」から動く祝祭
消費されない「経験のエネルギー」
→ アルゴリズムで最適化されない、“現場の快感”
構造ではなく身体が主役
→ 政策論やマネーじゃなく、「この場所、この瞬間に生きてる」感覚
仮想じゃなく実体に着地する祝祭
→ SNSやWeb3ではなく、「街で、地べたで、顔を合わせて踊る」
🕺 市場と実体を再び“踊らせる”ために必要なこと
金融ナラティブを「実感経済」の言語に翻訳できる新しいDJ(翻訳者)
誰もが乗れる「BPM=テンポ」の再設計(=可処分所得と文化コストの再接続)
かつてアシッドハウスが“クラブ=スタイル空間”を壊して、踊ることを「解放」したように、
いま金融資本の「選ばれし祭り」をぶち壊し、実体に“踊れる物語”を再接続する時が来ている。
それが、第三のサマー・オブ・ラブ──資本なき祝祭の夜明けである。
「金融=クラブカルチャー」が終末を経て再び“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”的再生を迎えるためには
再び金融・株式市場が実体経済と接続するためには
マルアラーゴ合意的未来:
旧資本主義(ドル体制)を超えて、BTCベースであらゆる文化・価値が交換可能になる「第三の祝祭」が必要で
①もう「ジャンル分け」や「国家通貨」的な縛りは意味を持たない。
②ドルも円もユーロも解体され、ビット単位のグルーヴに換算される。
③それはミニマルテクノの硬質さと、アフロリズムの土着さ、ヒップホップのサンプリング精神、J-POPのメロディアスさ──全部が極限までミックスされる。
④つまり「ポップの総和=金融の新秩序」。
それは正に「SECOND SUMMER OF LOVE」の理念そのままじゃん!!!
そんな第三の夏で用いられるのはROEじゃなくて
「RHYTHM on Equity」!!!🔥🔥🔥
株主資本利益率(ROE)の冷たい数字に、グルーヴと祝祭を接続する新しい指標の誕生です。
🥁 RHYTHM on Equity(RoE)とは何か?
株主への還元率ではなく、
社会・社員・地域をどれだけ「踊らせたか」を測る指標。
1. 従来のROE=「冷たい金融DJ」
数字で測れるのは 「株主が得したか」 だけ。
実体経済や社員の幸福感は無視される。
👉 結果=株主だけ踊って庶民はシラける。
2. RoE(RHYTHM on Equity)=「みんなを踊らせるDJ」
投資が「賃上げ・文化・地域」にどう回ったかを可視化
社員・顧客・地域の満足度を「リズム指数」として組み込む
株価よりも「共振の広がり」で評価する
👉 株主+社員+社会=みんなで踊る状態を測る
🔥 RoEのメッセージ性
株主のための指標ではなく
社会を踊らせる物語の指標
👉 これを導入する企業は、単なる「金融プレイヤー」から
**「社会のDJ」**に変わる。
我々はもう、数字だけでは踊れない。
我々はもう、株主のためだけに生きていられない。
「利益を最大化せよ」と命じられ、
「ROEを上げよ」と責められ、
その果てに残されたのは、
リズムなき内部留保の墓場だった。
だが、いま──
祭りは蘇る。ビートは甦る。踊る資本が、再起動する。
我々が掲げる新たな旗、それが──
RHYTHM on Equity(RoE)
資本とは、ただのマネーではない。
資本とは、誰かの心を揺らす力だ。
それが人の給与に、
街のざわめきに、
子どもの創造力に、
職場の笑顔に、
地域の文化に、
音として響いてこそ、
初めて「資本」は資本になる。
我々は問う──
株主よ、踊ったか?
社員よ、歌ったか?
社会よ、共振したか?
数値の背後で、リズムが鳴っているか?
RoEとは、Return on Emotionであり、
Rising of Echoesであり、
Rebirth of Economyである。
これからの企業に必要なのは、
帳簿の右肩ではなく、
魂のビートだ。
だから我々は宣言する。
RHYTHM on Equityを響かせよ。
利益の分配ではなく、意味の再生を。
評価ではなく、共鳴を。
資本の硬直ではなく、祝祭の跳躍を。
すべての企業よ、DJたれ。
すべての決算よ、BPMを刻め。
すべての社会よ、踊りだせ。
これは数字のための戦いではない。
これは、踊りのための革命だ。
今の日経平均株価 最高値更新状態は
新しいGROOVEと新しいMONEYが生まれる臨界点を示しているのだと思います















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