脚本の種 セックスと嘘とポスト・トゥルース

脚本ジョニーは戦場へ行った, ダンサーインザダーク, ポスト・トゥルース, 羅生門


「脚本の種」というシリーズ記事を
スタートさせていただく事にしました。
XR脚本術では従来の脚本では描く事ができない
新しい脚本の執筆法を実施していますが
その場合脚本自身のテーマが「今」であれ
テーマを揺さぶる事象が「今」であれ
脚本は「いま・ここ」から逃走する事はできないと思います。
そこでこの「脚本の種」では脚本化される前の、
脚本という花に至る種子のような「ネタ」に関する
短い論考を書いていこうと思っています。

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沙奈絵ちゃん

うむむ・・・この記事のタイトル・・パク・・・
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人間失格

こういうのはオマージュと言うんんだニャー!!!

新型コロナウィルス禍の現在で
一番興味深い、XR脚本を書く上で「種」となるのは
世界同時で発生しているポストトゥルース状態だと思います。
このターム自体が注目を浴びたのは2016年のアメリカ大統領選挙時ですが


それまでなら単に「デマ」や「都市伝説」、「陰謀論」
として「真実とは別のモノ」として扱われていたような言説が
真実(TRUTH)以上に多くの人達に支持(消費)される状態の事を指している
と言われています。
正に世界の「羅生門」化という事だと思います。

僕が今回のコロナ関連で最もPT(POST TRUTH)感を感じたのは
イタリアと韓国の「医療崩壊」に関する記事が多く出回った時でした。
今ではそれはコロナウイルス発生以前の国内インフラとのバランスによる
一時的混乱でしかなかった事が明らかになっているので
トゥルースを凌駕するようなポストトゥルースにまでは
至らなかったのはフェイクニュースを作った人たちも、それを
消費していた人たちにも残念な事ですが
でも「医療崩壊は起こらなかった」事が真実なのかといえば
実際にはイタリアでは医療費の削減という政策によって医療機関を
減らしていたという事実があり
韓国では集会の自粛勧告を無視した宗教団体によって
クラスターが発生したという事実があります。
そうした社会状況を考えた時医療崩壊がおこらなかった事が
人々が本当に求めている「トウルース」かどうかは極めて曖昧になります。
というより2020年代の今、僕等が求めている「真実」とは
一体どんなものなのでしょうか?

今回のコロナのみならずポストトゥルースについては
多くの論考がなされていますが、そのほとんどは
歯にモノが挟まったような、所謂ポストトゥルース的言説が放つ
「熱狂」とか「狂信」といった圧の前では
全く役に立たないものばかりのように感じます。
もうそろそろ本当の事を言えばいいのにと僕は思います。
そのホントウとはこういう事です

2020年代に於いては自らの死を賭した言説以外は真実とは認められない

というシンプルなものです。
ポストトゥルースとトゥルースを分け隔てる唯一のモノ
それはその発言をその情報発信者が自らの死を賭けて発信しているか
それだけだと思います。
誰も「この発言が間違っていたらワタシは死にます」
というアティチュードで情報発信を行わないから
どの発言も等価なポストトゥルースと化してしまうのです。
物凄くシンプルな話だと思います。
昨今、政治においてはよく発言責任という事が言われ
「誰も責任をとらない」ということが報道でいわれますが
では責任とはなんでしょう? 職を辞すれば責任なのでしょうか?
違います、責任とは「死」の事です。
自らの発言と引き換えに死ぬ事無しに発言される全ての言説・情報は
ポストトゥルースなのです。

そして自らの死を賭した情報発信だけが2020年代に於いては
唯一の「真実」なのだと思います。

 

今回も記事をお読みいただきありがとうございます。