叫びとささやき セジョン 1st EP「Plant(화분)」は何故傑作となったのか?

2022年4月25日XR脚本とKPOPgugudan, plant, しずむ女, セジョン, 화분

速報!3/24のTHE SHOWにて「PLant」が1st Win!!축하합니다

つつつ遂に!!!待望の、待ちに待った、AT LAST!
GUGUDAN セジョンの1st EP「Plant(화분)」がリリースに!!!
多分僕はi.o.iからgugudanそしてセジョン1st シングル
「FLOWER ROAD」まで、ずーーっと彼女の声が
BLUESと共鳴している訳について、その声が持つ特別性について
日本で一番ツイートしていると思いますので、
傑作となった「Plant(화분)」を徹底解説してしまいます。

Left Caption

沙奈絵ちゃん

今やセジョンちゃんはドラマ・バラエティー・CMと活躍してるマルチタレントなので
正直出ないんじゃないか??と思ってました・・・
Right Caption

人間失格

いや全く同感だニャー!いつ出るのかヒゲを長くして待ちわびていたんで
セジョン嬢の最新インタビューで彼女の音楽に対する想いの強さを知って
また嬉し泣きなんだニャ・・・・

声という身体装置の謎

「声」や「声を出す」っていう行為は物凄く
不思議な事だとずっと思っています。
人間は生まれた瞬間の泣き声から始まって
次第に自らの声帯と脳をリンクさせる術を学び
コミュニケーション装置としての「自らの声」を手に入れていきます。
でも同じように成長過程において自己と社会性との間で
作り上げていく顔やその他の器官と違って
声はコトバとの関係の濃さという点で別格です。
様々な研究によって明らかにされているように
同じコトバを発声しても、そのコトバに対する信用度が
声の響き方で違ったり、コミュニケーションにおいては
コトバの「内容」を遥かに超えて、声こそが
コトバの「意味」を担っているとも言われています。

声にだけ宿る奇跡とは?

僕はおんなのこの声を聞くのが大好きです。
そして声こそがその女の子の「BARE」=ハダカの状態を
ヌードとか以上に表していると思います。

だからおんなのこは相手に心を許すようになると
セックスの時に色々な喘ぎ「声」を聞かせてくれるようになるし
その響は僕にとって音楽と完全にイコールのサウンドです。
そんな風に「声」について考えている僕は
やっぱり宮崎駿監督と同じように「声優」サンが苦手・・・・


昨今では二次元コンテンツがエンタメ経済活動の多くを担うようになったため
その内容を支える声優さん方のスキルに関しても
ほとんどの方々が讃える方向でテキストを書かれたり
喋ったりされています。
でも僕のように「声」を考える人間にとっては
「スキルによって声をコントロールできる」という事と
「声によってそこにBAREな人間が立ち現れる」という事は全く別なんです。

声優の方々がスキルを発揮すればするほど
そこには見事なまでに「直接性」が消えていく・・・・・
もちろんその生々しさの消失こそが今の日本のアニメーションが意図する
表現のカタチであるのは理解した上で、でもその方向性は
究極的にはAIで賄えてしまえる「技術」な訳で
「声」とは技術ではなくその人の身体と心の「ホントウ」を
唯一僕らに伝えてくれるコミュニケーションツールなのだと思っている
僕のような人間にとってはつまらない声の使い方だなぁと感じてしまうのです。

セジョンというアーティストの「過剰性」と名曲「FLOWER ROAD」

そしてセジョン嬢の「声」が鳴らすホントウ
それは彼女の生に対する過剰性です。

i.o.iオーディション屈指の名場面となった
セジョンがどうしても課題を覚えられないソヘちゃん
に付きっ切りで教えるエピソード

いまだにGUGUDAN楽曲の最高傑作で
DIGIPEDI先生のMVが素晴らしすぎる
A GIRL LIKE MEでのDIVAシャウト

何しろセジョンのi.o.i時代のニックネームは「ゴッド(GOD)」・・・・
それは常に順位が落ちる事なくランキングの上位にいた
セジョンの人気を称したものだった訳ですが
多くの人は何をしても「ダダ漏れ」になる彼女の過激なほどの
全力感、ちょっと人間離れした「前のめり」っぷりが神聖に映った
のだと思いますし
僕も「この覚悟の決まりっぷりは只者ではない・・・」と思いました。
そんな彼女の"神性"の在処を音とコトバにメタモルフォーゼしたのが
ZICO씨であり彼が書いたソロ曲「FLOWER ROAD」で
セジョンはチャート番組の一位に輝きました。

これをi.o.iの人気効果という人もいますが
それは間違っています。
この「꽃길(FLOWER ROAD)」は僕も聞いた瞬間あまりにも凄い曲であっけにとられた
名曲になるべくして生まれた傑作です。
このBALLADのどこが凄いのか?
これまで彼女のホントウとはその「過剰性」だと書いてきました。
この曲はバラエティー番組で彼女が書いた
母子家庭で自分を育ててくれた母親への感謝の手紙をモチーフに
作られたものですが、普通そういった主題の曲は
ほぼお涙ちょうだいな「大甘」な曲に着地します。
そうさせない天才ZICOの精緻なトラック&メロディーとコトバも
凄いんですがそれを飛び越えてこの「FLOWER ROAD」で
セジョン嬢が正に「神懸って」いるのはここでの二つの声
前半でのVERSEでの"ささやき"と
後半でのストリングスに合わせたシャウト(叫び)
これ完全に別人なんです。

いや!!比喩でよく「別人のような・・」と形容することがありますが
そうじゃなくて完全な別人格の事です。
前半で母への感謝をささやくセジョン
そして後半でまるで鬼神のごとく母への「花道」を守ろうとするセジョン。
日本の神話でもギリシヤ神話でも複数の人格を持つキャラクターが
登場します。神話とは人間が失ってしまった「可能性」を寓話として
表現したものなので、ある時代まで人間は神話で描かれているように
生きていたと言われています。今では統合失調のような
疾患として捉えられてしまう複数の人格というココロの有りようも
神話においては生や性や聖の本来持つ「過剰性」を司るために
必要なものでした。
なんども言いますが「声」とは人をハダカにする本来性の表れです。
この「FLOWER ROAD」でセジョンの声は二つの、
・ささやきによって「慈愛」を
・叫びによって「怒り」を
正に神話の中の女神のように宣言します。
僕はこの「FLOWER ROAD」でのセジョンを声を聴くと今でも
必ず涙を流してしまうのですが、それは彼女の母への愛情物語
なんていう「ストーリー」をなぞっているからではありません。
人間がそうであったかもしれない「可能性」
無私に近い慈愛と憤怒に近い怒り
それは言い換えるとインドの神話で多重人格神シヴァが司った
「再生」と「破壊」のことです。
そんな極端な二つを振りかざす「生きることの過剰性」が
彼女の中にはあって、もしかしたらセジョン自身さえも気づいていないかもしれない
その生の・裸の・「彼女自身」に声によって触れることができる
その奇跡の現れにどうしようもなく涙が溢れてくるのです。

シヴァっていう神は男女両性とも言われていて、実は先日のバラエティーでも暴露されて
そのMOVIEは現在BUZZってますがセジョン様の「おっさん」度の高さもそんな神性の表れ?!?

IUとセジョンその決定的な違い

今回の1st EP「Plant」のサウンドの作りは
やはりソロシンガーとして韓国で絶大な支持を誇るIUのサウンドプロダクション
に近いものですが、曲の中で「声」が果たす意味性は
セジョンとIUではほぼ真逆です。
I.Uはそれがどんなに悲劇でも喜劇であっても
彼女の「声」=本質が変わる事はありません。
彼女の中で森羅万象は全て等価なものとして整列していて
彼女は悪戯な天使のようにその一つ一つを歌にしていくのが
IUの手法なのです。
その天使的「声」の鳴り方は唯一無比のもので彼女に女性ファンが
つまりは天使になりたい女の子達が多いのも納得できてしまいます。
しかしそれとは全く真逆のセジョン嬢の声=本質の「過剰性」は
今回自ら手がけた曲が5曲中四曲!という事もあり更に広がっていて
ラスト曲「In My Dream」での正にBAREそのものともいうべき
生々しい「声」は彼女の中にある多分今現在は誰にも治癒できない
永遠の哀しみこそがセジョンというアーティストの放つ過剰な生の
源泉である事を秘めやかに宣言する2020年代のBLUES
であり
タイトル曲「Plant」と共に傑作だと思います。

まとめ


タイトル曲「PLant(화분)」は記憶についての唄です。
記憶は残酷なものです。
永遠の愛を誓った何よりも大切な記憶でさえ
まるでそれが一時的な病であったかのように
まるでその病から治癒していくように僕らは記憶から
“幸せ"そうに遠ざかってしまう。

しかしこの「Plant」でのセジョンは違います。
トレーラーハウスの中で彼女は記憶とだけ生きています。
その姿はまるで手塚治虫の名作「しずむ女」のヨーコのようです


でもそれは孤独でも絶望でもココロの闇でもない
曲が進むごとに繰り返される
「Tell Me everything to me
Your everything to me」
というマントラは力強さを増し次第に彼女を飲み込み
遂に世界はそんな彼女を祝福するのです。
そして彼女が心の底から手に入れたがっているのが
記憶の中で響く「声」であると明かされる時
そんな奇跡を可能にしたのは
紛れもなくセジョン自身の唄声である事
遂に彼女が自らの「声」こそが全てを肯定する
最終兵器である事を世界に向けて高らかに宣言したのが
「Plant」という曲の本当のテーマ
であると知るのです。
とても勇敢なそして2020年代に鳴るべき正しい唄、そして声だと僕は思います。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

2022年4月25日gugudan, plant, しずむ女, セジョン, 화분

Posted by nolongerhuman