孤独だけが「セリフ」を生む? XR脚本術流会話の書き方PART1
・XR脚本術におけるセリフの書き方
僕が脚本を書こうとしてとにかく一番ビックリした事
それは実際に書かなくてはならないのは
・「セリフ」
そして
・「ト書き」
なのにもかかわらず
あらゆる「脚本本」はほぼ
脚本を構成する「構造」についての本ばかりで
まーーったく「セリフ」に関するHOW TOがない
事への純粋な驚きでした。

沙奈絵ちゃん
実際の調理法が載ってないって感じですよね

人間失格
脚本に関わったり、実際には脚本に置ける構造とセリフは全く別モノなんだニャン
という惨憺たる状況なのでモチロン日本には
脚本において「セリフをどう書くのか?」に関して
突っ込んだTEXTはほとんど存在しません
脚本千本ノックではその状況を変えていこうと思います。
目次
そもそも「セリフ」って何なんだろう?
メチャクチャ「そもそも論」で恐縮ですが
セリフとはなんのために存在しているのか?
それについて考えた事ってありますか??
僕はお恥ずかしいことに脚本を書き始めるまで
セリフについては深く考えたことがなかったです
それは一つには
「セリフってばよーするに会話の事で、そんなん
日常生活でもしてるし簡単よね!」
と思っていましたし
さらに×2、実際に本屋に行って脚本本を見てみれば
そこは「構造」についてのオンパレード!!
余計に「構造>セリフ」って思っちゃいますよね(泣)
そんでもってしっかりと脚本の構造とやらに沿った
構成をウンウン言いながら作って
よーーし!これで書けるぞーーーと
いざポメラの前へ(僕は脚本の清書を書くのにO’s EDITOR
その前のドラフトはポメラで書いています)
と・こ・ろ・が・・・・
書けないわけです・・・・・・
あれーー?!?!あんなに脚本本を読んだのに
あんなにネットで調べまくったのに
「セリフ」が書けない。
これには本当に唖然としました
そもそも「セリフ」に特化した脚本本がない不幸
で、質が悪いことにこの
「セリフが書けない」という状態に対して
今の「脚本=構成」推しの、所謂「脚本業界」は
ほぼ知らんぷりなんですよね。
総じて言われているのは
「セリフは君の感覚次第だ」
ななななんじゃそりゃ(泣)
実はセリフ=ダイアローグについてかかれているものは脚本関連より戯曲本の方が多いんですが
そのあたりもこの脚本千本ノックでは取り上げていく予定です
あれだけ「構造」に関してご高説を並べている
脚本本そしてネット上の脚本サイトでも
最後の最後、脚本の原稿用紙のマス目の
70-80%を占めるであろうセリフについて
まるで口を閉ざしたようにほとんどメソッドの説明がない。
でも僕は本にして200冊以上
あらゆる脚本に関するトピックを調べつくしましたが
この「セリフ=ダイアローグ」をどう書くのか?
に関しては海外でもトホホ・・な状況で
日本では2019年に出版された
Robert Mckee氏による
Dialogue: The Art of Verbal Action for Page, Stage, and Screen
は一見「セリフ」に特化した内容と思いきや
構造におけるセリフの役割を述べているだけで
コレをよんでもセリフは書けるようにならないです。
僕等は本当に「会話」をしたいのか?
で、この状況がわからなすぎて
僕は色々なアングルから考えてみました
んーーーー?!?!待てよ・・・・
これだけ巷に「脚本本」が満ち溢れているのに
そこにセリフの書き方がない
それって逆に考えれば多くの脚本家そして
脚本家ワナビーにとっては
それに言及する必要がないって事だよね?
つまり彼等「脚本家村」の住人の方々には
脚本に置ける構造を考えるのは大変だけど
セリフ=ダイアローグ=会話って物凄く容易な事なんだな、と。
あーーーそうか!!
ここか!!!
脚本村の住人の方々とボクの決定的違い
それは
「僕はぶっちゃけ他人と会話するのなんて真っ平だぞ」
という感覚です。
これを書いてしまうと今の僕の本業に関わっていただいている方には
申し訳ないんですが
というのも僕は仕事の上では何度も芸人サンに間違われるくらいの
モーターマウスであり
会話というコミュニケーションにメチャクチャ長けている
と思われています。
でも本当にホントウは他人と会話=ダイアローグする事が
全く楽しいと思えない人間なんです。
よく一日でも人と会話をしないと不安になるといったこと
を言う人がいますが
僕は一週間でも一か月でも他人と会話しなくても
全然平気・・・・・
とにかく誰かと会話=タイアローグを交わすのは
大げさに言い切ってしまうと「苦痛」でしかないわけです。
でも明らかに「脚本村」の方々はそうではない。
彼らは他人との会話のやりとり=セリフ=ダイアローグが
楽しいという大前提があるからこそ
実際に脚本を書く上でセリフには注釈しない
その会話が機能する構造こそが脚本村の人達には課題なんです。
つまり「村」に属さない僕等のような
究極の「孤独」を抱えるものにとって
セリフ=会話=ダイアローグとはどういう意味を持つんだろう??
そこを突き詰めて考えないかぎり
僕は「セリフ」を書けないと察する事が出来ました。
ダイアローグでもモノローグでもないパラフィクショナルなセリフとは
パラフィクションというタームをご存じですか?
評論家の佐々木敦先生による命名ですが
これを知って僕はコレだ!!と思いました。
フィクションでもメタフィクションでも
もちろんそれは「正しく現実(ノンフィクション)でもない」
佐々木先生の著作ではそこまで踏み込んでいませんが
このあらゆるものの境界が決壊している状態=パラフィクショナルな
感覚こそが僕の僕等の「孤独」を言い表しているのではないか?
「あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生 」
の中で言及されているのはやがて全ての事象は
「生と死」という境界さえも失くしてしまう事
って事はそれはニアイコールで「自己と他者」の境界さえない世界の事ジャン
えっ?!?!それって正に「XR世界」の訪れって事なのでは??
この「気づき」でXR脚本術のスタイルが決まりました
あーそうか!!
僕等はこのパラフィクショナルな世界
XR的な究極の孤独に置いて一体誰と「会話」できるのか??
繰り返しますが僕は、そして僕と同じように
2020年代というパラフィクショナルな世界
新しい孤独を生きるキミやアナタにとって
所謂「脚本村」の人々の間で交わされる会話=セリフは
全く意味を持たないと僕は思っています。
その決定的な違いこそが
僕等がセリフを書けなかった原因であり
だから「無敵の人3.0」において登場するのは
僕等のような人間にとって必要なセリフ=ダイアローグ=会話を
担うVOICEというパラフィクショナルなキャラクターでした。
僕等は今や「孤独」からしかセリフを書く事ができない事に気づく事
「無敵の人3.0」の中でも書きましたが
僕はワンピース的な仲間が嫌いです
僕は「ゆるーく」で繋がるソーシャルなネットワークが嫌いです
でもそこからしか、自分にとっての孤独の在り方を
見つめることからしか
2020年代というパラフィクショナルな世界における
正しい「セリフ」は生まれないと思っています
セリフを書くためには
・孤独から生まれる「セリフ」こそが2020年代に必要なダイアローグ
次回はこのVOICEについて更に深堀りさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません