音楽の女神だけが僕等を殺す・・IRENE & SEULGI SUNMI Hwa Sa CHUNG HA新曲に共通する”ある”秘密
イヤーーー・・・・・上に四組のスチールを並べただけで圧巻・・・・
コロナ禍の中空前のカムバ&リリースラッシュとなっている
2020年夏のKPOPですが、それにしても
Red VelvetからIRENE&SEULGIの初ユニット曲「MONSTER」
Sunmi新曲「pporappippam」
MamomooのHwa Sa新曲「Maria」
そしてCHUNG HA新曲「PLAY」
がまさかのほぼ同時期リリース!!!
そして恐ろしい事に全曲POP AMTHEMとして2020年を代表する傑作であるのに加えて
ひたすら「POP MUSICとは何者なのか?」という根本命題を捉えた
「ある共通点」
があるのが本当〜〜ーーに重要なのでその事について解説させてください。
スンミ様はFantazylab
ファサ様がVm Products
そしてチョンハ様はRigend Filmの監督作ですね
SNS時代を見据えて「音と映像」の編集力の高さこそが、MVこそが
やっぱり映像作品として究極なフォームであるって事もKPOPは証明してるんだニャー
ポップミュージックと時代のグルーヴの関係性
もうイヤというほど繰り返してしまいますが
POP MUSICであるという事はイコールその時代の肉体性
を支えるダンスグルーヴによって言葉とメロディーを編集する事です。
それはPOP MUSICが誕生した1950年代のR&Rから
現在のHIPHOP、EDMまで同じで
優れたポップミュージックであるためには自らの表現(コトバ&メロディー)
を「外部」であるグルーヴによって解体→再構成しなくてはならないんです。
でもこの事はズーーっと書いてますが
「なんでそんな事をしなくちゃならないの???」という声が
今回も聞こえてきそうなんですが
それはもちろん「POP」であるとはイコール「SEX」のシュミレーションだからです。
何故4組の新曲は「セクシャル」なのか?
自意識を壊す事、そこに新しい意味と「外部」と交わる事でしか手に入らない
肉体性を見出す事。そのためにポップミュージックはいつも新しい
ダンスグルーヴを必要としてきました。
僕らが見知った言葉が普遍的なメロデイーがビートと交わった時
そこにはグルーヴとしか形容できない「体験」が生まれます。
それによって僕たちはそれまで決して他者へと届かなかった言葉が
自閉的でナイーブだったメロディーがまったく違う「生き物」へ
POP MUSICというモンスターヘメタモルフォーゼする事を
そしてそれがSEXとおなじくらい性的な行為である事を知ります。
だからこそポップミュージックは70年以上も多くの人々に
共有されるアートフォームとなりました。
今回ご紹介する4曲は正にそんなPOP MUSICの究極「カタチ」
最新のダンスグルーヴによってセクシャルである事を許された
おんなのこの「生」が「性」へとメタモルフォーゼする
そんな奇跡の瞬間についての傑作ANTHEM群である事に僕は号泣しました。
何故か?
それはJPOPが失ってしまったそうしたPOP MUSICの「源」を体現しているからです。
ダンスミュージックが日本でメインストリームにならない訳
「HIPHOPが何故日本ではメインストリームのPOP MUSICに
なれないのか?」というJPOPのガラパゴス現象とも密接に関係がありますが
このポップミュージックとはグルーブによって編集された
セックスのシュミレーションである。という不変の法則は
いまやJPOPには全く存在しません。
中でも最もそうしたメタモルフォーゼの奇跡を体現するべき
女性アーティストはJPOPにおいては「強いられたアセクシャル」を職人的にこなす
アニソン系のアーティストの方々だけという現状です。
さらに言うと近年JPOPにおいてBUZZったダンスミュージックについて
想いを馳せて下さい。
えっ?!?!?!「フォーチュンクッキー」?? 盆踊りじゃん
えっ?!?!?!!「恋ダンス」?!?!? 幼稚園児の踊ってみたじゃん
盆踊りも楽しい「村」の行事だし
子供達のお遊戯をみるのも楽しいです。
でもそれはPOP MUSICではありません。
ディープラーニングとダンスミュージック
えーーー別に最新のダンスミュージック由来の
グルーブによって編集されたPOP MUSICなんて
日本にはなくてもいいじゃないか???
という意見もあるかもしれませんが
そうしたアートフォームが何故必要とされるのか?
について別角度から書くと何故JPOPにはポップミュージック
の普遍的なフォームが消えてしまったのか?がまた面白みを増します。
この「グルーヴという構造を利用した新しい意味の創造=編集」
という世界の捉え方は有名な工作舎によってリリースされた
数々の「編集本」や雑誌「遊」の時代からほぼ人間のみが手に入れる事が出来た
特別な生の在り様であったと言われてきました。
そして現在やはりまた「編集」という世界の捉え方が
脚光をあびているのはそれがAIを構築する際に絶対的に必要な構造であり
その「ニューラルネットワーク」こそが最も人間的で
それはつまり性的で、僕等の生の根幹を司っているという事が
わかってきたからです。
そしてこのニューラルネットワーク、AIを機能させるためには
その構造の中に"正しくない"「ノイズ」と、ほとんど職人技でしか
調整できない「ズレ」という正にグルーヴベースのPOP MUSICを
作るときと同じ作業が必要という事がわかってきています。
新しい時代のグルーヴと新しい時代の「脳」がリンクする。
この交差点で鳴り響くANTHEM、もうちょっとイキって言ってしまえば
この「シンギュラリティ」の音こそがその時代のポップミュージックの正体なのです。
それが現在存在しないJPOPには結構な確率で未来は厳しいんじゃないか?と思います。
そしてAIを増殖させるように新しいグルーヴと格闘する
これら4曲がどれだけ僕等の今と未来にとって重要な音楽であるか?
という事がわかっていただけると思います。
まとめ
緻密な編集によってPOP MUSICはグルーヴによって
「生と聖と性」を思いもよらぬカタチでつなぎ合わせます。
IRENE & SEULGI SUNMI Hwa Sa CHUNG HAの新曲がこうした"三位一体"的
イメージに溢れているのはそうした理由からです。
そこに籠められたメッセージを一言で言うならそれは
「死ね、そして甦れ」
日本文学最大の「ポップスター」であった三島由紀夫の遺作
「豊饒の海」の最大のテーマもまた生と聖と性の編集でした。
そしてその方法を追い求める男達の前に女神の様に現れて
死刑を宣告するのは美しく残酷で妖しい女達。
僕等もまたMVの中のイメージ群にあわせて
蜘蛛のような怪物に飲み込まれるようにIRENE&SEULGIに
臓器を切り取られ食われるようにHwa Saに
火に包まれた車でクラッシュするようにSunmiに
映画「ミッドサマー」の儀式のようにCHUNG HAに
殺される。でもそれは至福であり新しく蘇るための通過儀礼です。
4組の傑作ポップアンセム群はそのための甘美でセクシャルなBGMなのです。
今回も記事をお読みいただきありがとうございました。
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